話の種 目次

■ 2003.12.20. その22 生涯で一番あわただしい誕生日の心憎いホテルのサービスの話
■ 2003.12.20. その21 インドのビジネスの話
■ 2002.05.11. その20 グレープフルーツに化けたゴルフボールの話
■ 2002.05.11. その19 早起きは三文の得
■ 2001.04.09. その18 スペースシャトル打ち上げに見たアメリカの誇りと寛大さの話

■ 2001.04.06
. その17 アメリカの火葬率の話

■ 2001.03.04
. その16 大阪は長野に学べ?
■ 2001.03.04
. その15 メンフィスのキャプテンのもてなし話
■ 2001.02.27. その14 日本の将来はフロリダに学べ
■ 2001.02.25. その13 仕上げはシルバーのテープ
■ 2001.02.25. その12 航空会社の安全手順の話
■ 2001.02.25. その11 母達に脱帽した競争の話
■ 2001.02.25. その10 ラスベガス風(?)機転の利かせ方の話
■ 2000.08.31.
その9 アジアの落ちこぼれかもしれない日本の話

■ 2000.08.25.
その8 花火大会とタックスペイヤーの話
■ 2000.08.15. その7 終戦記念日に思い出した外から見た日本の話
■ 2000.08.15.
その6 レストランの嬉しい体験と教訓の話
■ 2000.04.27.
その5タイ経済とホテルのサービスの話
■ 2000.04.09. その4 ミシェル・クウァンとスケートの話
■ 2000.03.25. その3 日米情報格差を垣間見た天気予報の話
■ 2000.03.24. その2 ミスター顧客サービスの話
■ 2000.03.18. その1 機長の心温かい一言とちょっと残念な話
■ 2003.12.20.
生涯で一番あわただしい誕生日のホテルの心憎いサービスの話

 ようやくインドからの移動が叶って月曜日の早朝にシンガポールへ到着。 インドでの足止めの3日間、毎日予約を変更したにもかかわらず、常宿のホテルは快く対応してくれ、早朝の到着にも関わらず、部屋に通してくれた。 夜行便での移動はやっりきつい。 仮眠を取るとシンガポールの知人からランチの誘いが来た。 ゴルフにも誘われたが、明日はジャカルタ日帰りの商談があるので、午後は準備をしながらゆっくり休みたいと丁重に断った。 じゃぁ明日の晩仕事が終わったらナイターをやろうという事になり、帰りの時間が確定したらジャカルタ空港から電話をする事にして別れた。
 翌朝は5時に起きて、ジャカルタへ。 幸い商談はスムーズに進み、話もまとまり飛行機も予定より1本早い便に乗ることが出来た。 午後5時にシンガポールのチャンギ空港へ降り立つと、知人が迎えに来ていた。 車の助手席に乗り込むと、後部座席からピンクのバラの花束が出てきた!「Happy Birthday to You!」 あ、誕生日覚えていてくれたんだ。 「生ものは悪くなるからベイクドチーズケーキを買ってある。 ゲームの後でみんなでお祝いをしよう」と言ってくれるではないか! とにかく6時までにスタートしないとナイターが出来ないと言うので空港近くのゴルフ場へ直行し、他の2人と合流。 最終ホールのグリーンでパットを始めたとたん時間切れとなり照明が消されてしまい、真っ暗の中パットを何とか沈めてホールアウト。
 日付が変わる前にケーキのろうそくを願いを込めて吹き消さなくちゃ・・・ということで、24時間営業のハッカーセンターへ急行し、深夜日付が変わる寸前にケーキにあり着いた。 が、裏が青い。 かびてるんじゃないの? 聞くと、ゴルフの間、車の中に置き去りにしてあったらしい。 でも、お祝いだからと言う事で上の方だけスプーンですくっていただいた。 翌日は例によって早朝6時の飛行機なので早めに切り上げようと、みんなも気遣ってくれる。
 日付が変わった頃に長い一日が終わりホテルへ帰ると、部屋にもケーキが待っていた。 ホテル・スタッフからのメッセージカードと、ボイスメールにもマネージャーからのメッセージ。 かびてたケーキより実は100倍くらいおいしそうだったが、さすがに全部平らげる元気はない。 かといって、一口食べて残すのも忍びないので、食い意地を理性でぐっと押し込めた。 当直のマネージャーにお礼を言って、ケーキは当直のベルボーイ達に差し入れることにして、持ち帰れないピンクのバラの花束は、マネージャーのオフィスへ。 それにしても、フォークと取り皿を2つつけてくれた心配りがにくくもあり、皮肉でもあり・・・ 寝ている間もないので、とりあえず湯船に浸かる事にした。    by Emiko
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■ 2003.12.20.
インドのビジネスの話

 3月、インドはデリーでのコンベンションに招かれて一人で出かけていった。 現地の取引先からとにかく来れば帰りは飛行機に乗せて上げるから心配ないと言われて行った物の、帰りの飛行機はキャンセル待ちのまま。 ちょっとした行き違いで、念のために押さえておいたビジネスクラスはキャンセルされてしまい、結局足止めを食らってしまった。 毎晩夕食を終えて空港近くのホテルへ帰ってくる途中、乗れなかったシンガポール航空の機体が頭上の星空へ吸い込まれていくのを眺めること3日間。 「帰りは何とかするって言ったじゃないの!」と問いつめたら、後になって、エア・インディアか、タイ航空なら何とかなったが、シンガポール航空は思うようにならない・・・と言われ、逆にほっとした。 ちょうどイラク戦争開戦間際で、何かあったらタイで足止めを食らうよりも信頼できる知人たちがいるシンガポールの方が安心と考え、あえてシンガポール経由のルートを選んだ私の認識は正しかったようだ。
 それにしても、デリーへ入る便はどこもいつも満席状態でなかなか予約が取れない。 シンガポール航空も、タイ航空ももっと大きな機体を使えば簡単に集客が上がるのにと思ったら、インド国内の航空会社からの圧力で当局が許可を出さないのだそうだ。 かといって、自国の航空会社の便数が増えるわけでもなさそう。 自国の産業を守るために、国を挙げて国際競争を押さえるという状況は、万国共通のようである。
 しかし、3日間足止めを食らったおかげで、オールド・デリーへ足を延ばす機会に恵まれた。 カースト制度の残るインドでは、階級毎に人の集まる地域も異なるようで、ショッピングエリアの雰囲気も異なるのが印象的だった。 中でも印象に残ったのは、中上流の人達が集まるショッピングエリアの路地裏で、塀の脇にテーブルを広げてシャツにアイロンをかけるアイロン屋さん。 「グッド・ビジネス」だという。 「ジョブ(職業)」ではなくて、「ビジネス(事業)」と形容される所に、彼女が事業主であることが伺える。 インド商人はたくましく、タフだと言うが、ここにも一人。 「動きは遅いけれども、最後には必ず勝つから、辛抱強くつきあってね。」と言って、亀の置物をお土産にくれた、インドの取引先の大将の言葉を思い出した。  by Emiko

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■ 2002.05.13.
グレープフルーツに化けたゴルフボールの話


 先日フロリダで4日間ゴルフをする機会に恵まれた。 しかし、2日目の途中で、ゴルフボールを入れていた袋を落とした事に気が付いた。 4つくらい良いボールも入っていたので、ちょっと落ち込んだりもしましたが、思い当たる辺りは数ホール前。 引き返すにも引き返せず、とりあえずそのままプレーを続けることにした。
 後半に入って、前が詰まっており、日陰を見つけてはカートを回して体力の温存に務めていたが、16番ホールで
はフェアウェーの真ん中でグリーンが空くのを待つ羽目になってしまった。 暑くてぼーっとしていたら、ゴルフ場脇のお宅のおばあちゃんが何か言ってるのに気づいた。 一瞬躊躇したが、手招きをしているのでカートを回して行ってみた。 すると、庭先のグレープフルーツがにたわわになったので、持っていかないかという。 ジュースに絞ったらおいしいと言って4つ分けてくれた。 まもなく16番のグリーンが空いたので、ゆっくりしている暇はない。 手短にお礼を言ってフェアウェイへカートを走らせた。
 ゴルフが終わってから早速ひとつ剥いてみた。 ルビーのタイプで甘くておいしかったこと! 翌朝はジュースに絞ってみた。 忘れられないほど甘くておいしかった。 そして、無くしたゴルフボールはちょっと大きくて甘いボールになって帰ってきたのだと思ったら、何だか幸せな気分になった。
 翌日ポットにアイス・グリーンティーを作ってお礼に持って行くことにした。 勿論、16番のフェアウェイに面した軒先から。
  by Emiko
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 2002.05.10.
早起きは三文の得
 2年前のGW当たりに思い立ってベランダ農園を始めた。 一年目はトマトとピーマン。 それからバジルにはまった。 軒先にハーブがあると、薬味と一緒で結構重宝する。
 しかし、毎回出張で数日間留守にすると一番最初にやられているのはいつもバジル。 ベランダの外には公園の木々が生い茂っており、結構虫が多いのだ。 梅雨明け頃になると、毎朝虫との戦いになる。 その話を聞いた友人から「Early Bird can beat the worm!」(早起き鳥は虫をやっつける!)と笑われたが、実は笑い事ではない。 大きく青々としたバジルのはっぱが穴だらけになって、丸坊主になってしまった情けなさと言ったら・・・!
 秋になってから、ある日早朝ゴルフに出かけた。 9ホール歩いて1時間ちょっと。 通勤前の一運動にちょうど良い。 さて、スタートしようと振り向いたときの、河川敷の土手の向こう側に見えた太陽のでっかかったこと! そのすがすがしさに、それから早朝ゴルフが病みつきになってしまった。 第一ただ1時間ウォーキングするより、絶対楽しい。
 そして、フェアウェイを歩き出すと、なにやら鳥が沢山いる。 虫をついばんでいる! そう!「Early Bird can take some worm!」(早起きは三文の得=直訳は、早起き鳥は虫にありつける。
 今年もハーブの苗を買い込んだ。  by Emiko
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 2001.04.09.
スペースシャトル打ち上げに見たアメリカの誇りと寛大さの話
2001年3月8日、フロリダのスペースコーストの海岸縁から、対岸のケネディ・スペースセンターからのスペースシャトル・ディスカバリーの打ち上げを見る機会に恵まれた。 
たまたま前の晩に新聞を買ったら、打ち上げの記事を見つけたのだ。 早速、ウォールマートのレジの叔母ちゃんにベスト・スポットを聞きだした。 今年は10回近く打ち上げがあることを知り、日常的なことなのかなと思いきや、夕食を食べた後に観測ポイントをチェックに行ったら、国道1号線沿いの空き地や無料駐車場には既に徹夜組のキャンピングカーが沢山止まっていた。 

打ち上げは午前6時42分。 現地近辺に到着したのが6時20分頃。 海岸線へ向かう道路は既に大渋滞。 既に車を止めるところもなく、仕方なく1号線にぶつかったT字路の中央分離帯の草原に車を突っ込んだ。 他にも沢山留めてあるから、チケット切られないよね・・・とどきどきしながら、海岸線へ・・・ 周囲人と車がごった返していて、まるで、元旦の朝の湘南の様。

空は雲一つない快晴。 日の出も間近となり、水平線からやってくるオレンジ色がどんどん濃くなる。 そして、煙に包まれた光の点が静かに登り始める。 10km以上離れているので、全く静かで、ギャラリーの歓声だけが響きわたる。 1分以上立って、空高くスペースシャトルが消えかけた頃、ようやく彼方から音が近づいてきた。 ものすごい空間の広がり。

その奥行きと広がりに吸い込まれるように消えていくスペースシャトルにアメリカという国の広さと誇りを感じたその次の瞬間、人並みの引けるのの早いこと早いこと。 中央分離帯に止めた車達は早々に姿を消して、自分たちの車だけがぽつんと残っていた。 ふと見ると、交差点の信号機の脇にはお巡りさんが一人たたずんで事態の収集を見守っている。 無理に交通整理をしていないのが、寛大でアメリカ的。 (実際問題こんなにたくさんの人と交通、一人でさばけないと思う。) ふと、ジャカルタの無秩序な大渋滞の交差点に立って、ただ途方に暮れているお巡りさんの事を思いだした。   by Emiko

スペースシャトル打ち上げの写真はこちら。
 
スペースシャトル打ち上げスケジュールはこちら。
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■ 2001.04.06.
アメリカの火葬率の話
1999年の始めに、これまたラスベガス行きの飛行機の中で見たUSA Todayの記事の話。 

USA Todayの一面の左下の隅に、毎日載っている「今日の話題」のような小さな記事の中に、アメリカの火葬率のチャートが出ていたことがあった。(記事の切り抜きまで出てきた!=左) 1998年のアメリカの火葬率は24%。 全米的に見ると西海岸よりに高い率の州(左記事赤部分)が集中し、東海岸よりに低い率の州(同黄色部分)が集中している。

暫くして近所のショット・バーで、ご近所の皆さんと盛り上がった勢いで、それじゃー、追跡調査をしようと言うことになった。 USA Todayのホームページから追っかけたところ、ついにこの記事を書いた女性の記者から、Eメールでコメントをもらうことができた。

彼女によれば、アメリカでもベビー・ブーマーの世代が親の死に直面する時代になり、「老い」や、「死」というものへの話題が、社会的に高まっているのだそう。 全米火葬協会というのもあって、ホームページを見る限り、火葬を奨励しているようだった。

また、この前年の11月に掲載された、火葬の記事はかなりの反響を呼んだとのことで、彼女がスクリプトのテキストのコピーを送ってくれた。 火葬した後の遺灰を、半分は撒いて捨て(自然に帰し)、半分は造形物にして、形見として身につけているケースが増えている・・・という事。 

ちょっと古い話で、当時メールで話を聞いた友人達もいると思うが、データの整理をしていたら出てきたのでこの場で改めてご紹介と相成った。 
  by Emiko
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2001.03.04.
その16 大阪は、長野に学べ?

昨年の夏、カナダ人の友人夫妻を長野へ立ち寄る機会があった。 長野へ着いたのは丁度昼時。 ご夫人は中華が好きとのこと。 外には花のあふれる、しゃれた中華飯店が目に留まった。 ジーンズやショーツの出で立ちの我々にはちょっと、敷居が高いかな・・・と思いつつ、のぞいてみると、なかなか上品で、対応もなかなか良い。 笑顔で案内されて着席した。 メニューを持ってきてくれたウエイトレスにも英語が通じるし、メニューにも英語が載っているので一安心。 長野は久しぶりだが、オリンピックがあって、こんなしゃれた店が増えたんだろうな・・・と感心。 ビールとおいしい料理を堪能して、話も盛り上がった。 

おなかもいっぱいになった頃、カナダ人のご夫人が化粧室へ立った。 と、直ぐに舞い戻ってきた。 どちらのドアをあけたらよいかわからないと言うのだ。 行ってみると「婦人」「紳士」と漢字の表示。 数年前に京都へご案内したアメリカの取引先の奥様とは「ピンクに行って来る!」が合い言葉になった程良くある、赤と黒、あるいはピンクとブルーの人の形の表示もここにはない。 ・・・やっぱりニッポン! ちなみに、トイレの中もとてもきれいでおしゃれな快適空間だった。

昨今、大阪市のオリンピック誘致のニュースを目にするが、長野から学ぶこと、結構ありそう?
 by Emiko
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 2001.03.04.
その15 メンフィスのキャプテンのもてなしの話

9月10日(日)メンフィス発ロサンゼルス行きNW551便での話。 
この日は朝5時にアーカンサー州のホテルをチェックアウトし、眠い目をこすりながら、空港のデリでまだ暖まりきっていないクリーム・ブロッコリースープを食べて、ぼろぼろのノース・ウエスト・エアリンクのプロペラ機に乗り込んだ。 ブロッコリースープは良く暖まっていればさぞかしおいしかっただろう。 乗り換えはメンフィス。 空港のスーベニア・ショップはエルビス・グッズがいっぱい。 エルビスファンには答えられないだろうなと、エルビス命の知り合いのお母さんの顔が浮かんだ。

ロサンゼルス行きの機内に乗り込むと、航空会社の人らしいおじさんがファーストクラスの乗客になにやら話していた。 よく見るとコクピットのドアが開いており、話の内容は飛行機関連。 暫くするとメインキャビンの方へ歩いていき、同じ話をしている。 どうもこのフライトのキャプテンらしい。 

まもなく機体のドアが閉まり、ゲートから機体が離れ始めると、スピーカーからハーモニカの音楽が流れてきた。 さすがメンフィス・・・と感心するや否や、そのBGMに続いて、今日の飛行ルートがジャズ風のメロディーで歌になって流れてきた。 BGMだと思ったのはキャプテンとコ・パイロットのハーモニカのライブパフォーマンスだった。 機内サービスの際に、パフォーマンスの主について尋ねたら、手が空いたら聞いてみるとの事。フライトアテンダントが自分の乗り込んだフライトのキャプテンの名前を知らないというのも、飛行機がバスのように発達した、いかにもアメリカらしい話だ。 日本でも、新幹線の車内販売スタッフが車掌の名前を覚えているとは信じがたい・・・というところか?

暫くして名前の書いてあるペーパーナプキンが帰ってきた。 その日のフライトが快適だったことは言うまでもない。 ロサンゼルス到着間際に先ほどのメモを見せて欲しいとフライトアテンダントがやってきた。 Dan Mossman と Bob Powellのパフォーマンスに心を動かされたのは私だけではなかったようだ。 by Emiko
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 2001.02.27.
その14 日本の将来はフロリダに学べ?

フロリダは定年退職した人が住むところだとよく言われるが、先月フロリダへ行ったときにつくづく感心した。 本当に年輩の方と、カナダ人が多い。

朝食を食べに行けばレストランにはシニアのカップルがゆったりと食事をしている。(写真左下) 午後になれば、パティオで皆のんびり歓談している。


ゴルフ場では8割が定年退職したシニア達とのこと。 時々若い人を見かけたが、話をしてみるとカナダ人だったりする。  気が付くと、自分の乗っているカートと違う豪華なカートが走っている。 よく見ると、ゴルフ場の近辺の住宅のガレージには車の横にゴルフ・カートが泊まっている家がある。 皆、マイカートを持っており、自宅からカートに乗ってゴルフに来るそうだ。 ゴルフカートが公道を走ることも、警察は容認しているそうだ。

物価も安い。 スーパーではバーベキュー・チキンが丸ごとでなんと3ドル50セント(約400円)。 朝食を食べに行ったレストランはさすがにちょっとお高め。 それでも、4ドル95セント(約600円)。 将来の見通しの暗い日本、豊かな将来像を見いだすヒントがありそうな気がする。
by Emiko
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 2001.02.25.
その13 仕上げはシルバーのテープ
SQ157 仕上げのシルバーテープ
2001年2月1日。 例の日航機のニアミスのあった翌日からまた出張と相成った。 

1月にフロリダで友人の操縦するセスナに乗ったときに、ヘッド・フォンをつけたので交信の様子が聞けたけれど、実ににぎやかだ。 フロリダ当たりは5分も飛べば小さな空港が直ぐにあって、上空を通過する度に周りの飛行機や管制塔とのやりとりが聞こえてくる。 数字の読み間違えも実は結構あるらしい。 

東南アジア内の路線ではその信頼性からシンガポール航空を選んで乗っているが、2001年2月初めの SQ157便では、座席に着いた途端、メンテナンスのクルーが乗り込んできた。 直ぐに座った席の直ぐ後ろの天井で、何やら作業が始まった。 仕上げは銀色のテープ。 シンガポール航空はテープもシルバーだ! 来るとき乱気流でもあったのかな? 一昔前のガルーダ・インドネシア航空ではガムテープの補修を機内でよく見かけたけど、シンガポール航空では始めて。 飛行機の天井って結構もろいのかな。  - 2001年2月6日 ジャカルタ・スカルノ・ハッタ国際空港出発前の出来事。
  by Emiko
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■ 2001.02.25.
その12 航空会社の安全手順のお話

飛行機関係の話が続いてしまうが、「飛行機が完全に所定の位置に到着し、頭上のシートベルト着用のサインが消えるまでお座席でそのままお待ち下さい。」・・・というアナウンスの後、ドアが開いても、お客がおりはじめても、「頭上のシートベルト着用のサイン」が消えない事が結構ある。

タイのタイ抗空国内線の時(左上写真)は、タイというお国柄こんなこともあるのかなと、見過ごしたけれど、シンガポール航空でシンガポールに到着したときにこの状況に遭遇したときには、例の台北で滑走路間違えの事故を思い出さざるを得なかった。 小さな気のゆるみが大きな事故に繋がりかねないんじゃないかと感じた。

しかも、この日のシンガポールからの乗り継ぎ便は例の事故機と同じ台北経由のロサンゼルス行きの便。 「私は台北どまりで天気も良いから大丈夫」と自分に言い聞かせて搭乗。 機内ではワインを飲んでよく寝た。 航空会社の危機管理、安全手順、徹底して欲しいものである。 - 2001年2月20日の出来事。
   by Emiko
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■ 2001.02.25.
その11 母達に脱帽した競争の話

日本の国内線には年に1〜2回しか乗ることがないけれど、機体が完全に泊まらないうちに立ち上がる乗客が多いのには圧倒されてしまった。 日本人は、もう少しお行儀が良いと思っていたが、順番を譲ろうとすると、後ろの人に追い越されてしまうのには唖然! 多分「鈍いやつ」と思われているんだろうなと思いながら、「でもやっぱり、ゆとりがないなぁ・・・」と思いなおす。 競争社会の結末か?

アジア間の路線では我こそ先に外へ・・・と、結構激しい競争状態になることが良くある。特にイミグレーション(入国審査)に時間のかかる国は大変。 機外へ出てからイミグレーションまでは、皆かなりの早歩き状態で、イミグレーションが近づくと走り出す人も出るくらいだ。

しかし、混雑するイミグレーションをいかに早く通り抜けるかという事は、スーパーのレジに並ぶのと同じ感覚だという事を発見。1999年の3月、母と母の友人を中国返還前の香港へ連れて行った時の事。 二人とも海外旅行は初めてだったにもかかわらず、すいている入国審査官の窓口を探しして並ぶことの、母の友人の何とすばやかった事か! たくましいお母さん達の姿に脱帽。
 by Emiko

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